貴方は、プライドが高いですか?
貴方は、自分に「プライド」を持っていますか?
私が抱くプライドに対するイメージは、こんな感じ。
プライドが高いと損をする。
プライドなんて捨てて、まずは行動すべき。
あまり肯定的な意味合いで使われないように感じます。
かくいう私は、プライドが高いです。
今回は、そんな私と「プライド」の付き合い方について書いていきます。
舐められるのは超絶嫌い
そもそもあまり経験がないのですが。
私は人から舐めたような態度を取られることが、超絶嫌いです。
特に論理が破綻している発言とか、人の中身もロクに知らずに、経歴だけで判断されるようなことは、本当に嫌いです。
あとは私のことではなく、私の大切な人を批判されるようなこととか。(あまり経験がないけど)
そういう方とは、速攻距離を置きます。サヨウナラ〜
距離を取ることが難しい状況で、「あ、喧嘩売られたな?」と思ったら、買います。
しつこいくらいに執着し、批判し、その発言の意図と真意と整合性を問います。
「嫌いだ」と明確に思った人は、徹底的に嫌いになります。
私は全人類に対して優しい心を持ち合わせているわけではないので。
そういう発言をされたことは絶対に忘れないし、恐らく一生根に持ちます。
(私の人の発言に対する記憶力は結構半端ないです。)
(自分が人に言ってしまった失礼かもしれないこともほぼ全て記憶しています)
(そのくらい「言葉」という存在を愛しています)
私は、何故舐められることが嫌いなのか。
単純に、プライドを傷つけられるからです。
プライドという言葉が持つ意味。
自尊心。
つまり、自分を尊敬する・認めてあげる心。
私は、この「心」を安易な言葉で傷つけられることが嫌いなんです。
他人を貶めることでプライド保とうとする人は嫌い
一方で、私はプライドが高い人の中でも、ある一定層の方々は、嫌いです。
それは、他人を貶めることで自分のプライドを保とうとする人。
もはや軽蔑。
出来る限りの距離を取ります。関わりたくないから。
こういう方が「プライドが高い人」として目立ってしまいがちだから、
プライドは捨てろ
そんな言葉が出てくるのかなと思います。
そもそもプライドというのは、「自尊心」。
自分で自分を認めることです。
自己肯定感と近いものもあるでしょう。
その意味を履き違えている人、結構居ますよね。
そういう人、本当に嫌いです。
どうしても距離を取れない相手がそういう人だった場合には、徹底的にその人のプライドをへし折るための言葉を使います。
そんな言葉は使う時間すら無駄だし、私の言葉として使うには、勿体無いし、汚い。
幸いにも最近は環境を選んで生きることを覚え始めたので、そういう機会もありません。
私にとっての「プライド」
一時期、私は自分のプライドを捨てようと考えました。
「プライドなんて高くない方がいい」という言葉を鵜呑みにした結果です。
プライドを捨てようとした結果、何が待っていたか。
そこにあったのは、「自己否定の増長」でした。
そもそもがネガティブで自己肯定感を高く持つことが出来ない私は、より一層自分のネガティブな側面ばかりに目が行くようになってしまったのです。
元々私が持っていたプライドは、私にとって大切で、必要で、私を私たらしめる存在だったのです。
今の私は、再び自分にプライドを持っています。
そして、プライドと同時に持っていなければならないものも、手に入れました。
「素直になること」です。
「プライド」は誰かに噛み付くことではない。
プライド(自尊心)を持ちながら、常に素直でいることを忘れない。
例えば、こんな場面。
その人のアドバイスは、間違いなく的確で、自分の考えよりも良いもの。
その時、貴方はどう動きますか?
私は、こう言います。
私ここは自信持ってたんですけど、完全に上を行かれました。笑
その発想はなかったので、取り入れさせてもらいます。
ありがとうございます!
私が嫌いな「他人貶める系プライド高い人間」は、きっとこうは言えない。
素直になれないから。
他人より自分が「下」だと認めてしまうと、自分の自尊心が保てないから。
こういう「プライド高い人間」が、損をするんです。
そんなプライドだったら、捨てた方がよっぽどマシ。
そんな自尊心、保とうとする時間が無駄。
プライドを大切に。素直な心を大切に。
冒頭でも書きましたが、私はプライドが高いです。
色々考えた結果、「プライドは高くていい」という結論に落ち着きました。
そして、同時に「素直で居ること」は常に意識しています。
「プライド」と「素直な心」の両立がなければ、プライドはただの邪魔者です。
もし貴方がそんなプライドを持っているのであれば、今すぐ捨てることをオススメします。
プライドを持ちつつ、自分を肯定しながら、素直に生きることこそ、
自分のプライドを更に高く・強固なものにしていく方法だと、私は信じています。
「プライドが高い=強い」ではない
最後に。
プライドが高いことは、強い人間であることとイコールではありません。
例えるならば、私はとても弱いです。
驚くほど過敏で繊細で、まともに前を向いて歩くことも出来ません。
それでも私はプライドを持っています。
それは、私が生きてきた道があるから。
自分の道を自分で作ってきたことを、自分が知っているから。
だから私は、自分にプライドを持っていいと思っています。
たまにへこたれて自分のプライドを自分でへし折ることもありますが、それでもまた、私は立ちます。
それこそが、私にとっての「プライド」です。
素敵なプライドと一緒に、生きていきましょう。