少し前までの、私の口癖。
「私はもう、一生分休んだから!」
不安障害を発症してから、私は沢山たくさん、休んだ。
飽きるほど、休んだ。
休むことに疲れてしまうほど、休んだ。
休むことに飽きたから、もう休む必要なんてないと思っていた。
でもそれは、大きな見当違いでした。
休むことは悪だと思っていた
元々、私は「休むこと」自体に罪悪感がありました。
きっと小さな頃から形成されてきた感覚。
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学校では「皆勤賞」を取ると、褒められる。
休んでしまえば、授業についていけなくなるし、ノートも取れない。
部活では、欠席が続くと、「なんであんなに休むの?」と影で言われてしまう。
※私はゴリゴリの部長やってて、言う側の人間でした。笑
だから、示しがつかないし、自分は休むわけにはいかない。休めない。
大学以降はアルバイトやインターンを始めて、「休むのは体調管理が出来ていない証拠」という意識が芽生える。
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そんな日々を生きてきて、気付けば私は「休むことは悪だ」と思うようになっていました。
だから、極力休むことがないように。
精一杯やる。動く。でも、手は抜かない。
それがカッコいいし、そうあるべきだ。
でも、私の体は、もう悲鳴を上げていました。
「お願い。休んで。もう私は限界。」
そんな声が何度か聞こえていたのに、私は休まなかった。
そして大学4年の秋に、「不安障害」を発症したのです。
休まざるを得なくなった日々
これは、私がちょうど病気を発症した頃のスケジュールです。
「移動」「考える時間」「資料作成の時間」
とか、一切入っていないんです。
物理的に自分の身が必要なスケジュールしか、入っていません。
13日と19日は、終日の予定が入ってる。
1週間、ほぼ休みなし。
内訳は、
▶予備校アルバイト(週2~週3。インターン終わりに。)
▶ゼミで卒論提出の準備
▶バンドの練習
▶友人との交際
▶たまにデート
これが、良い。
これこそ、あるべき姿。
本気でそう思っていました。
頭おかしいでしょ。
そりゃ心だって限界だよ。
忘れもしない、2015年9月12日。
私は内科の診察室で泣き崩れ、その日を境に引きこもりとなりました。
生まれて始めて、長期的に「休まなければならない」時間と直面することになりました。
「もう一生分休んだから!!」
それから、数年を経た今。
私の病気は、寛解していません。
今もお付き合いを続けているし、精神科の通院も続けています。
もう約4年のお付き合いになった今、精神疾患の怖いところだなと思っている点があります。
良い状態と悪い状態の波を、繰り返し続けること。
実際、1~2年前の私は、結構調子が良かった。
だから勝手に通院をやめたこともありました。
勝手に薬を飲まなくなったこともありました。
「私は引きこもってた時期にもう一生分休んだから!」
そう言って、休む習慣をつけることはしなかったのです。
でも結局、何度も何度も、ぶり返しました。
ぶり返すたびに、また自分を責める。
せっかく調子良くなったのに、また逆戻りだ。
どうして上手くいかないんだ。
私はもう、休んだのに。
休まないと、生きていけません。
今の私は、自分の体調に波があることを、理解しています。
そもそも、精神疾患なんて関係なく、人間誰しも良い時・悪い時の波がある。
でも、今の私は特にその波が大きくて、まるで荒波のよう。
だからこそ、今の私が日々意識していること。
事前に荒波を察知すること。
察知したら、なるべく回避すること。
回避できないのであれば、打撃を最小限に済ませること。
そう。
倒れる前に、休むこと。
上手に休む方法を追求しよう。
人間は、休まないと生きていけません。
休まないでやっていける人なんて、本当にごくわずかでしょう。
休んでいないように見える人だって、きっとどこかで息抜きをしているはず。
私は、私に合った休み方を模索し続けています。
貴方も、貴方に合った休み方を探してみてください。
私も貴方も、休んでいいんです。