「小さいままで良い」という、大きな嘘。

私の幸せ

「幸せとはなんだろう。」

そう幸せについて考えることは、日々の中でも多い。

「ああ、今の私は幸せだな。」

と思う瞬間もあれば、

「私なんてずっと不幸だ。早く解放されたい。」

と悲観することしかできない瞬間もある。

行ったりきたりする中で、私がたどり着いた一つの生き方。

小さくてもいい。

大きくなれなくてもいい。

小さな幸せで十分。

私は果たして本当に、小さいままで良いのだろうか。

大きくなりたかった

幼い頃から、ただ漠然と「大きくなりたい」と思っていた。

いつか私は有名なピアニストになるんだろうと信じていたし、

いつかの高校受験では、「けいおうじょし」という学校に受かるんだろうと思っていたし、

いつかの将来には必ず自分は「ゆうめい」になっているんだろうと当たり前のように思っていた。

きっとその「いつか」 はもうとっくの昔のことなのだけれど、私は「いつか」をいつまでも信じているのかもしれない。

私にとっての「いつか」は、気付いた時には私のずっと後ろに居る。

もう大きくなれないのだろうか

「いつか」のタイミングを逃してしまった私。

「私はもう大きくなれないの?」

小さな私は、そう語りかける。

それなのに。

今の私が、「小さな幸せでいい」と断定してしまうのは、余りにも悲しい。

「小さくて十分なのよ。

あなたはもう無理して大きくなることないの。

そのままで十分素敵なの。

だから、小さくていいのよ。」

私はいつから”小さな世界”という名の言い訳を身につけてしまったのだろう。

小さな世界は、勿論良い。

小さな世界圏は、良くて当たり前だ。

子どもの頃の「小さな世界」は、時に苦しさしか呼ばないけれど、大人になった今、私たちはもう自分の手で「居心地の良い”小さな”世界」に居ることを選べる。

自分で選んだ居心地の良い世界は、当然の如く、”良い”。

たとえば私は、今小さな世界の中で生きている。

大好きな人と共に暮らし、

大好きな「書く」を仕事にし、

たくさんの趣味の中から毎日好きなものを選び取って遊んでいる。

小さな世界の中で私が自ら選び取っているから、幸せだ。

一歩外に踏み出した先は、私にとっては地雷原のような恐怖をもたらす。

だから私は一歩外に踏み出さないのだ。小さな世界が、良い場所だから。

「ここにずっと居るのでしょうか。」

暫くの期間、この小さな世界に逃げ込んで、私は少しだけ力を取り戻してきたようで。

ちょっとだけ元気になった私は、少し前の私にこう問いかける。

「私たち、いつまでもここに居るの?

ここから出て、もっと広い世界に出ないの?

ここは居心地が良いけれど、あなたがやりたいことはここにおさまるの?

私はそろそろ、出てみたいけどな。」

そう問いかけると。少し前の私はようやく少しだけ笑みを漏らして、こう言う。

「良いじゃん。

ちょっとだけ、出てみよう。

だめだったら、また戻ってくればいい。」

「小さくていい」なんて、嘘。

私は「小さな世界」を作り出せたから。もっと大きな世界が欲しくなった。

小さいままでずっと良いなんて、そんなのは嘘だ。

私はまだまだ、大きくなりたい。

私にとっての”大きい”を、表現したい。

私に見える大きな世界を、もっと広げたい。

今手に入れた小さな世界を大切に大切に、守りながら。

私はもっと大きな世界を見たいと、日々望んで生きている。

明日の私は、きっと今日より少しだけ大きくなっているであろうと、そう信じて。

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