「正しいこと」は正義なのか?

白黒ハッキリさせたい。

物事の白黒をハッキリさせたがる人って居ますよね。

あなたの意見はどっちなの?

結局どっちが良いの?

私はどっちを選ぶの?

自分に対しても、他人に対しても。

どちらがいいのか。
どちらが正しいのか。

私は、この「白黒ハッキリさせたい」タイプの人間です。

ずっとそうやって生きてきました。

そんな私が最近感じていること。

白黒ハッキリさせる必要があることって、この世にそんなにあるのでしょうか?

発言に一貫性がない人

私には、妹が居ます。

小さい頃、話をしている時に。
妹に対して強く指摘することが度々ありました。

私が指摘をするのは、一貫性のない発言。

▶ついさっき話していたことと筋が通っていない

▶この間言っていたことと全然意見が違う

一貫性のないことを妹が言うたびに、

「それさっき(この間)と言ってること違うじゃん」

と、強く指摘をしていました。

私は妹を責めたかったわけではありません。
ただ、理解が出来なかったのです。

なんで意見をコロコロ変えるの?
自分の言ってることに責任感はないの?

ただ、不思議でした。

貫くことが正義

当時の私にとって、考えや自分の行動、どんなことでも貫くことが重要だったのです。

始めたことは最後までやり遂げる。
途中で投げ出さない。
自分で言ったことはやる。
自分の意見はハッキリ持つ。

それが私にとっての、「正義」だったのです。

いつの間にかそんな生き方に苦しみを覚えた私は、
今では「貫かなくてもいいんだ」と自分に言い聞かせながら生きています。

正しいことは、本当に正しいのか。

今の私が、自分を振り返って感じること。

正しいと言われていることや、自分が正しいと思ったことは、本当に正しいのか。

むしろ、自分を「正しい」と信じて疑うことをしない人間の方が、傲慢で恐ろしいなと感じています。

かつての私にとって「白黒ハッキリつけるべき」というのは常識でした。

でももしかすると、自分の常識は、他人にとっての非常識かもしれない。
自分の普通は、相手には当てはまらないかもしれない。

そんな視点を持って客観的に自分を見ることで、自分の姿がまた少しずつ、浮かび上がってくるのかなと思います。

正しくなくてもいい。ハッキリしていなくてもいい。

人間は生きている限り、変化します。

考え方も変わる。
やりたいことも変わる。
在りたい姿も変わる。
生き方も変わる。

それでいいんですよね。

大切なのは、何が正しいのか、自分は何を貫くのか、ではない。

今の自分にとっての最適解を、常に更新し続けること。

私はこれからも、自分の解を日々追い求めていきます。

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