こんにちは!ぼんちゃです。
今回は、私のこれからの生き方について書きます。
という訳で、暇人ぼんちゃ、ここに爆誕でございます。
【ご報告】
わたくしぼんちゃは、
「究極の暇人」となることを、
ここに宣言いたします。詳細はまたブログとかに書きます。
— ぼんちゃ (@boon_chaaa) December 6, 2018
なぜ「暇」を極めるのか
先日、簡単に内容をツイートしたのですが。
ちょっとだけ書くと。
忙しい = 心が亡くなる。
この状況はもう嫌なんですよね。
心が死んでるのに、生きていけない。
それじゃあ命があっても、死んでるに等しい。だから、対義語である「暇」を、これから追求します。
— ぼんちゃ (@boon_chaaa) December 6, 2018
つまり、「忙しい」という状態を脱却したい、という思いです。
私、学生時代まで、忙しいことは正義だと思っていた節があるんです。
googleカレンダーで24時間の行動を徹底管理!
時間のムダを無くそう!
「暇」は悪だ!
こんな風に考えていました。
でも、病気になって、休学をしたり、休職をさせていただいたり。
そんな時間を経た結果、
ということに気づいてしまいました。
忙しいと、自分を見失う
では、「忙しい」状態の何が良くないのでしょうか。
忙しい状態が続くことは、つまり日々の生活に追われ続けることになります。
目の前の生活で手一杯になり、生きることが雑になる。
生きる上では、意識することが2つありますよね。
② 長期的なプラン・目標
私は、「忙しい」に追われると、② 長期的なプラン・目標が自分の生活からすっぽり抜け落ちてしまうのです。
そして、ふとした瞬間に、
と、思い出すのです。
長期的なプランから逆算して直近のやることを考えていたはずなのに、いつの間にか毎日を生きることに必死になっている。
毎日に必死になることは、「忙しい」を意味する。
つまり、心が亡くなってしまうんです。
「忙しい」に殺されてきた日々
「そんなのセルフコントロールすればいいんじゃない?」と思う方も居るでしょう。
それが、私にとっては、非常に難しいんですよねえ。
例えば、大学2年生の頃の話。
ずっと予備校でアルバイトをしていたのですが、その業務が大好きだったんです。
ただ、時給がクッッッッッソ安い。とにかく稼げない。
そのバイトだけでは自分の欲しい額が稼げなかったので、朝にもカフェのバイトを始めました。
結果、カフェバイトで疲れ切り、全身ボロボロで整体に通う羽目に。
カフェバイトで稼いだ額が治療費に消えるのがバカバカしくなって、すぐ辞めました。
脱・忙しいアピール人間
今考えると、本当にアホだなと思うんですけど、当時は忙しいことにある種の快感を覚えていたりもしました。笑
こんなに忙しく、頑張ってるの!
どう?偉い?見て!見て見て見て!!!
多分こんな感じだったと思います。笑
いわゆる、「忙しいアピール」する人。
一方で、自分の体も心も死んでいました。
暇人になります。
3年半前に不安障害になった私は、休養することを余儀なくされました。
波はありつつも、自分の心が死んでいる状態は今でも度々やって来ます。
それがいつなのか振り返ってみると、大抵忙しくしている時なんです。
という訳で、私は「暇」を追求します!
私の心は、3年半前に、死にました。
どうせ死んでるなら、彷徨ってる霊みたいに、満足して成仏するまではこの世界に居てみようかな〜って、そんな感じ。— ぼんちゃ (@boon_chaaa) December 6, 2018
オイトマを頂戴します。
「暇」を追求していくにあたって、このブログの名称も変更いたしました。
その名も、「オイトマを頂戴します。」
これから私の人生、基本的に暇人として生きていきます。